Voices Left Behind
- 写真、映像、日記、フラグメント、サイアノタイプ
- 協力 Nuclear Princeton
2025
今回の作品「Voices Left Behind」では、数年前に広島大学からプリンストン大学に寄贈された原爆瓦(広島の爆心地近くを流れる元安川の川底から探し出されたもの)をモチーフに、物が保持する当時の記憶、また核の歴史に埋もれ忘れ去られた声たちに耳を傾けようとしています。2024年にプリンストン大学(原爆の開発を担ったマンハッタン計画とも関わりが深い)の森本涼助教授のもとで始まった広島大学に所属する学生有志とプリンストン大学の学生たちの交流において一部の企画・運営を担った菊田は、プリンストン大学の参加者が北米先住民にルーツを持つことを知ります。彼らのコミュニティは、ウラン採掘によって原爆開発に関与させられ、深刻な被爆被害を被ってきた歴史を持ちます。こうして原爆瓦を起点に、加害者と被害者といった単純な二項対立を越えて複数の記憶を辿るなかで、アーカイブ自体が持つ政治、つまり何を保管し何が忘れ去られるままになっていくのかということについて思索していきます。過去に拘るのは決してノスタルジーのためではなく、むしろ未来の出来事を呼び込むチャンスとして捉えているからです。今回の作品の起点となった原爆瓦も、またこの作品自体も、未来において新たに解釈され続け、その意味も変化し続けます。それゆえ過去に目を向け語り続けることは、決して終わりのない営為となるでしょう。
小池浩央
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広島のもう一つの側面
「プリンストン、原爆開発に貢献」
2020年の夏、新型コロナウイルスのパンデミックが世界中に広がっていた頃、私は1945年8月10日付のニュージャージー州プリンストンの地方紙のこの見出しを目にした。米国で教育を受け、核問題を研究する日本人人類学者として、私はその見出しの勝利を誇示するような口調に衝撃を受けた。
日本で、とりわけ岡山県倉敷市で生まれ育った私は、自然と被爆者の視点に触れる機会が多く、学校の教科書や博物館への訪問、口述歴史を通じて、原爆がもたらした非人道的な結果について学んできた。大学に進むために米国に移住してからは、アメリカには原爆について異なる視点があることは知っていたが、原爆開発に関する多くの極秘研究が行われてきたプリンストン大学で教職に就くまで、「広島のもう一つの側面」の現実とその歴史的、文化的な重みを完全に理解することはなかった。
ちょうどその頃、プリンストン大学で、自分たちの声を届けることに苦闘していたネイティブ・アメリカンの学生グループと出会った。私たちは協力して、米国の核開発を通じた国家建設プロジェクトの影響という、日本人と先住民双方に通じる核開発における痛みの歴史を探求した。「マンハッタン・プロジェクト」は日本の運命を一変させると同時に、過去に強制移動させられた多くのアメリカ先住民コミュニティーの奪われた土地と生活に、現在に続く多大な影響を与えたのである。この協働を通じて、多様な人々の間で核被害やその経験が断片化され、分断されていることだけでなく、核という存在がその遍在性ゆえに生み出す、言葉にされなかった驚くべきつながりを紡ぎ出す力の可能性についても発見することができた。この共同研究の成果として、異なる立場にある主体間の目に見えないつながりを明らかにすることを目的とした「ニュークリア・プリンストン」プロジェクトが立ち上げられた。
米国で見過ごされてきた核の歴史や経験を掘り起こした後、このプロジェクトは広島の人々への働きかけを試みた。私たちは、この取り組みを「Chain Reactions / 連鎖反応」と名付けた。これは核技術における専門用語であり、発電であれ爆弾の製造であれ、エネルギーを生み出すための自己維持的かつ自己増幅的なプロセスを指す。この中心的な概念のもと、私たちの目標は、単に原爆やその継続的な影響、あるいはそれに関連する労苦や犠牲についての新たな記憶や物語を創り出すことではなく、他の人々が原爆の歴史の継続に参加するよう導く、新たな(再)反応を引き起こすことであった。この意味で、私たちは「ニュークリア・プリンストン」を、一連のその後の行動の引き金と位置づけ、その行動と反応によって他の人々をこのプロセスに引き込む触媒として、菊田真奈さんを選んだのだった。(菊田さんを紹介してくれた東京大学院生で被爆者3世の片山美咲さんに感謝します)
私が初めて菊田さんと会った時、彼女は、原爆の仕組みの根幹をなす概念を軸にアートプロジェクトを構築することに抵抗を示していたことを覚えている。アメリカで広島の「反対側」からの視点に触れてきた私とは異なり、被爆者3世の菊田さんにとって、広島に残された声は、技術的な比喩に還元するにはあまりにも現実的で、肌で感じられるものだったのだ。実際、私の当初の依頼は彼女にとって難しいものだった。私は、日本と米国を象徴する二つのアイコン――鶴と原爆――を折り紙で作り並置することで、記憶と歴史の痕跡を表現できないかとお願いした。私は、原爆投下とその結果がもたらした不可逆性を、テキストを通じてだけでなく、折り紙を折り、それを広げるという物理的な行為を通じて、触覚的かつ視覚的に向き合いたかったのである。
この件に関して菊田さんが内心どう思っていたか、また現在このコンセプトをどう捉えているかは私には分からない。しかし、彼女が自身の芸術的感性を駆使して、独自の視点から「ヒロシマ」のもう一つの側面を体験しようとしたことは確かである。このプロジェクトのために彼女は北米と日本を旅し、破壊し尽くせない記憶の断片を集め、聞こえない声を聞き取り、原爆の破壊力ですら完全に断ち切ることができなかった目に見えないつながりを捉えようとした。
私にとって、『Voices Left Behind』は、1945年の夏に広島で起きた原爆投下に対するアメリカの反応への私の反応に対し、菊田さんが示した個人的かつ芸術的な応答だと感じている。被爆者の数が減少しつつあるこの世界で、菊田さんは自身の芸術作品を通じて、私たち全員に反応を促す方法を模索している。彼女のアートは、かつて、そしてこれから残されていく声を確実に後世に伝えるために、私たち一人ひとりが何をすべきかを問いかけるよう、私たちに迫っているのだ。
これらの声は、もはや1945年に人為的に生み出された太陽の破壊的な熱を体験した人々だけが持つべきものではない。さらにその記憶を伝え続ける任務を被爆者やその親族のみに委ねることはできない。その代わりに、私たち一人ひとりが、原爆が投下され、今もなお存在し続け、人類の絶滅の可能性を孕んでいるという、取り返しのつかない歴史的事実と向き合う必要がある。原爆は私たちの集合的な苦難であり、世界平和を実現する能力に対する象徴的かつ現実的な障害なのだ。
アメリカ先住民族文化では、病から回復するために儀式が必要とされることがよくある。私にとって、『Voices Left Behind』はまさに菊田さんが私たち全員のために用意してくれた、もう折られてしまった原爆を解体し、再び折り鶴へと折り直すための比喩的な儀式なのだ。私たちは過去を否定することはできないが、今という現在において行動し、未来を変える力を与えられている。
『Voices Left Behind』がさらなる連鎖反応を引き起こし、広島の声を次世代へ伝えることが、自発的かつ自己増幅的に持続する行為となることを願っている。
森本凉 ハーバード大学
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Kanzan Gallery
家族写真
- 写真
2024
菊田の《家族写真》は、菊田と菊田の子のポートレイトだ。10年以上をフランスで過ごした菊田は、先月帰国し、拠点を出身地である広島にうつした。帰国後最初の作品である本作は、広島平和記念資料館で撮影され、母子像の形式を取っている。同館の被爆瓦にふれる菊田の子は、被爆4世にあたる。
文責:小田原のどか
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